でも、さすがに「いい年」になったので「遺憾、遺憾、もっと感謝の日々を送らなくては・・」なんても思うのですがねぇ・・
そんな時、私の座右の書の中の一冊隠されたる神(苦難の意味)山形謙二著・キリスト新聞社の中にある「あたりまえ」って詩を、読み直して「自戒」しています。
ちょっと長いですが、ご参考までにご紹介します。
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(ガンのため右足を切断し、その再発と戦いつつ、与えられた生を生き抜いた青年医師、井村和清氏の「あたりまえ」という詩です。)
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音が聞こえて声が出る
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして叉朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけだ
なぜでしょう
あたりまえ
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日々の生活の中で、「ほしい、ほしい、たりない、たりない・・」と、いつの間にか「感謝」を忘れている自分にフッと気づいた時、
私は時々この詩を読み直して自分を戒めています。
でも、スグに「忘れちゃう」のですよねぇ・・
「わかっちゃいるけど」ですね、つくづく自分が煩悩の塊の、俗人だとおもいます。
ラベル:感謝