あのソフマップは私も上野から自転車で時々行きます。
あの犠牲者の中に私の名前があっても何の不思議もなかったのです。
以前、「茨城県の無差別通り魔事件」があったときに書いた記事を思いだし再掲載します。
犯人の動機が「世の中が嫌になった、誰でもよかった、人を殺す為に秋葉原に来た・・」という、「秋葉原」という言葉が、この事件、いやこれからも起こるだろうこの種の事件の「象徴」のような気がしました。
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テレビゲームと現実世界・・」
茨城県の同一犯による2件の無差別通り魔事件は衝撃的でした。
被害者のご遺族の方のお気持ちを考えるとなんとも言えない暗澹たる気持ちになります。
最近は、同じような事件が本当に沢山起きています。
この国は、いや、この世界はどうなってしまい、そして、これから、どうなっていくのでしょうか。
それを、考える上での「キーワード」はテレビゲームなのではないでしょうか。
気になる記事がありましたので、
抜粋してご紹介します。
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タイトル「テレビゲームは暴力に対して無感覚にならせる」
「暴力的なテレビゲームの影響を受けた人は、現実世界の暴力に対して無感覚になる場合がある」と、米国のアイオワ州立大学で研究を行う心理学者たちはいう。これまでの研究が示すところによれば、そうしたゲームを見たり行ったりすると「攻撃的な気持ちや怒りの感情が高まり、生理的な興奮や攻撃的な振る舞いが増す」。この研究では、協力者たちに暴力的なテレビゲームもしくはそうでないテレビゲームをしてもらい、その直後に実際の暴力の現場の映像を見せ、心拍数と感情的な反応を調べた。その結果、「暴力的なテレビゲームをする人は暴力に”慣れて”しまい、やがて生理的にも何も感じなくなる」ことが分かった。
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マスコミ等からつたわる、今回の事件の犯人の発言など、まさに、「ゲーム感覚」で人を殺しているとしか思えません。
暴力に慣れてしまうって、本当に恐ろしい事だと思います。
コンピュータは多くの恩恵を人類に与えてくれていますが、その一方でそのコンピューターがつくる「バーチャルな世界」が段々と「現実世界」を「侵食」しているような気がします。
私達を待っている未来の社会はいったいどうなっているのでしょうね。
____________________________________________以上
ゲームの中のキャラクターには、ご家族も、恋人も、友人も、いませんが、生身の人間には、愛する家族、恋人、友達がいるのです。
そしてなにより、どんなに精巧に出来たゲームのキャラクターには絶対にもてない「命」を持っているのです。
本当にやりきれない気持ちで一杯です。
格差社会と言われる今の日本で、「未来に希望がない、先が見えない、生きるのが嫌になったた・・」と感じている多くの人達がいて、
その方達がパソコンで「その種のゲーム」を今でもしていると考えると本当にゾッとします。
それに、今まで頑張っていらっしゃった高齢者の方への国の処遇。
若者だけでなく、こんどは希望を失った高齢者の方だってこの様な気持ちにならないとは決して言えないと思います。
「希望」のない社会に「明日」はあるのでしょうか?
その一方では、われわれの血税をなんの疑いもなく、当然の権利のように使っている「居酒屋タクシー」でご帰宅の「お役人様」、ちょっと務めて何千万円の退職金を何度ももらっている「天下り官僚」、年金の無駄遣いの日常化・・、民主主義といわれているこの国に、歴然とこのような「特権階級」がいるのです。
いったい、この国はどこに向かっているのでしょう・・